引退表明した【平成の怪物】 松坂大輔の軌跡 栄光と挫折について

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ねんか今季限りで引退発表した【平成の怪物 松坂大輔】

ここ数年怪我に悩まされて5月末には調子が良くなってきたみたいだが、

そこから痛みや痺れが再発してしまい、もう一度立ち上がる気持ちが出てこず、心が折れてしまったそうだ

そんな松坂大輔の平成の怪物と言われる理由や今までの経歴について調べてみた。


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プロフィール

引用:https://www.tokyo-np.co.jp

名前   松坂大輔 (まつざか だいすけ)

生年月日  1980年9月13日

出身地  東京都

身長   182cm

体重   92kg

投球・打席  右投・右打ち

守備位置   投手

配偶者   元日本テレビアナウンサー、柴田倫世、一男二女の3人の子供がいる

2001年に21世紀初の沢村栄治賞を受賞。

沢村賞とは?

引用:https://www.wikiwand.com

正式名称 沢村栄治賞略して【沢村賞】1947年に創設され、完投型先発投手に贈られる個人賞

1950年からはセ・リーグの選手のみに贈られていたのだが、1989年からは両リーグの選手に贈られるようになった受賞者は金杯と副賞として賞金300万円が贈られる。

選考基準は

登板回数(25試合以上)完投試合数(10試合以上)勝利数(15勝以上)

勝率(6割以上)投球回数(200イニング以上)奪三振(150個以上)

防御率(2.50以下)

選考基準を見るとこの賞をとるのはすごいことだと一目でわかった。

所属チーム歴

横浜高等学校

西武ライオンズ(1999年〜2006年)

ボストン・レッドソックス(2007年〜2012年)

ニューヨーク・メッツ (2013年〜2014年)

福岡ソフトバンクホークス(2018年〜2017年)

中日ドラゴンズ (2018年〜2019年)

埼玉西武ライオンズ (2020年〜2021年)

代表歴

2006年と2009年日本代表のエースとして出場しWBSで2度の優勝をしている。

2004年のアテネオリンピックでは銅メダルを獲得している。

今でも語られる高校時代の松坂選手すごさ

米大リーグ・イチロー

引用:https://www.hb-nippon.com

横浜高等学校に入学した松坂大輔は高校時代は『さぼりのマツ』と言われるほどの練習嫌いだった。

2年生の時に夏の神奈川

県予選大会の準決勝にて横浜商業戦にて松坂の暴投によりサヨナラ負けをしてしまう。

その試合以降、

松坂は猛練習をして3年生になると150km/hの球速をだし切れ味の鋭いスライダーを武器に超高校級の投手としてこの頃から【平成の怪物】と言われ始めた。入学当時はタレントの上地雄輔とバッテリーを組むが、上地の引退後、小山良男とバッテリーを組んでいた。

1998年第70回選抜高等学校野球大会では他校をいせつけず優勝。

そして第80回全国高等学校野球

選手権大会では準々決勝では名門PL学園戦は延長17回の激闘を制し決勝戦では京都成章戦では59年ぶりの史上2人目となる決勝戦でのノーヒットノーランを達成している

同大会は松坂大輔の大会と言っても大げさではないはずだ。

翌年の第三回AAAアジア野球選手権大会でも決勝で中国代表を打ち破り優勝投手になる。


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プロ野球選手になってからの活躍

1998年ドラフト会議で西武ライオンズにドラフト1位で入団して、プロ野球生活が始まる。

1999年デビュー戦で155km/hの球速をだして、8回2失点で初勝利をあげる。

この年に高卒ルーキーで16勝をあげて最多勝を獲得。

この記録は両リーグあわせて45年ぶりの快挙、そしてゴールデングラブ賞と高卒ルーキーでは史上初のベストナイン受賞する。33年ぶりに新人王を高卒ルーキーで獲得する。

2年目には10代で開幕投手を務める。これは15年ぶりの事だ。

この年も14勝をあげて、2年連続で最多勝を獲得。

翌年3年目も15勝を挙げて3年連続となる最多勝を獲得。

高卒ルーキーで3年連続最多勝を挙げたのは史上初の記録を残す。

2006年まで西武ライオンズで怪我なので離脱することもあったがここまでの記録を残した。

さすが【平成の怪物】と言わざる得ないと思う。


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メジャー時代の活躍

引用:http://thanks-mlb.com

2007年からはメジャーリーグのボストン・レッドソックスに入団する

ここでも怪物ぶりを発揮して日本人初そしてメジャー史上5人目となる

メジャー1年目で15勝200奪三振。チームも12年ぶりの地区優勝を果たす。

そしてワールドシリーズも勝利をおさめ優勝をはたす

同年WBCも日本代表で優勝し史上初の両方を優勝をした選手になる。

2008年には野茂英雄以来二人目の開幕投手を務めた。

しかしこの年から怪我に悩まされるようになり始める。

またこの年はプロになってからもっとも悪い成績になってしまう。

翌年は故障者リストに入ったり復帰したりとなった。

そのせいか、投球に波があり好調と不調の差があった。

それからなかなか投球が戻らず2012年にFAとなり、2013年はマイナー契約になってしまう。

しかし、故障などが理由で同年8月には自由契約となる、しかしすぐにニューヨークメッツとメジャー契約になるが翌年にはメッツとマイナー契約で再契約した。

4月にはチームメイトの怪我により、メジャー契約になる。

だがシーズン終了後FAになる。2014年には日本に戻り古巣ではなくソフトバンクに入団するも

怪我の影響で3年間で公式戦1試合しか登板せず、世間からの風当たりも強くなる。

2017年は中日に入り一時は調子も戻り始めカムバック賞を獲得する。

しかし故障者リストにはいるなどをして、2019年に退団。

2019年末に古巣の埼玉西武ライオンズにもどるが目立った成績は残すことが出来ず

2021年に現役引退を表明する。

まとめ

今回松坂大輔について調べてみると、松坂大輔の凄さやけがによっての不調が続くも治そうとする努力が分かった。

スポーツ選手に怪我は付き物であるが、もし松坂に怪我がなかったらとどうしても考えてしまう。

しかし高校時代からの怪物級の凄さがあるからこそ、今でもトレンド入りするのだろう。

引退に対して【今までありがとう】そして【お疲れ様】という気持ちになった。

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